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神戸地方裁判所 昭和37年(わ)1984号 判決 1966年2月03日

被告人 田中義行 外二名

主文

被告人田中義行を禁錮一年六月に、被告人稲田武夫、同原田信次を各罰金二〇、〇〇〇円に処する。

被告人田中義行に対しこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

被告人稲田武夫、同原田信次において、右罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は全部被告人田中義行の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

第一

被告人田中義行は神姫自動車株式会社に自動車運転手として雇われ、兵庫県三田市高次所在の同会社三田営業所に配属せられ、同営業所所管の国鉄三田駅前を起点とする定期乗合自動車路線を運行するバスの運転業務に従事する者であつて、昭和三七年八月一六日は早朝より前示三田営業所所属の大型バス(兵二あ〇三九〇号)に乗務していた者であるところ、かねてから同車のサイドブレーキが故障して居ることを了知し、かつ当日の仕業点検の際にも右装置の整備状態が不良であることを認識したのでこのような車輛を運転してはならないのに、主制動装置に異状がなければ運転しても差支えないものと軽信し、そのまま右車輛に乗務して他の路線の運行に従事した後、同日午後五時四〇分頃同市小柿所在小柿停留場を発し三田駅前停留場に向け、いわゆる小柿線の帰路に就き、七三名の定員にほぼ満員の旅客を乗せて、同日午後六時一〇分頃同市三輪所属の上野坂と称する勾配一四分の一乃至一二分の一で屈曲の多い下り坂道に差しかかつたが、このような場合、多数の乗客の重量のかかつている大型バスの運転に従事する者としては、たとえ完全に整備されている車輛の場合でも、ギヤーをセコンドにして降坂すべきであり、いわんや前示のようにサイドブレーキが調整せられて居らず、万一フートブレーキに故障を生じた場合には、ただエンジンブレーキのみによる外安全に降坂することの期し難い車輛を運転していた同被告人としては、予め同坂頂上のブレーキテスト標示板の附近からセコンドギヤーにして減速しつつ進行すべきであり、当初はサードギヤーで降坂にかかつたとしても、右標示板から約一八〇メートル下降した地点に注意徐行の標示板が立てられて居り、勾配もやや急になり、第一のカーブに差しかかることになつているのであるから、その地点附近からは必ずギヤーをサードからセカンドに切り替え、エンジンブレーキをかけながら減速して進行し、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、同坂頂上に至るもサードギヤーに入れたまま、時速三〇キロメートルで進行し、更に前示注意徐行の標示板附近に至るも、なおもギヤーの切替をせず、そのまま進行を続け、しかも同所を過ぎて間もなくフードブレーキに故障を生じていることに気づくや、一挙にギヤーをサードからバツクに入れようと狼狽の余ニユートラルのままの状態とし、右車輛を全く無制動の状態に陥れたため、ハンドル操作の自由を奪われ、前方道路の右カーブを曲ることができず、車輛を同所左側谷間に約二十メートル転落させ、よつてその衝撃により、別紙記載のとおり乗客森きくの外五九名に対し治療約四ケ月乃至三日間を要する骨折等の創傷を負わせ、

第二

被告人稲田武夫は神姫自動車株式会社三田営業所の整備助役であり、被告人原田信次は同営業所の運行助役として勤務し上司の指示に基き、右整備助役の代務者として同助役不在中その職務を兼務しそれぞれ同営業所所属車輛の装置の整備について責任を有していた者であるが、第一掲記の事故発生の数日前から前示バスのサイドブレーキが故障し、同装置が修理調整されていないため、交通の危険を生じさせるおそれがある車輛であることを知つて居たのに、同日前示国鉄三田駅前同会社三田営業所において田中義行に右車輛を運転させ

たものである。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

被告人田中義行の判示第一の所為は刑法第二一一条前段に該当するので、所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期範囲内で同被告人を禁錮一年六月に処し、被告人稲田武夫、同原田信次の判示第二の所為は各道路交通法第六二条、第一一九条第一項第五号に該当するので、所定刑中各罰金刑を選択し、その金額の範囲内で、右被告人両名を各罰金二〇、〇〇〇円に処すべきところ、被告人田中義行に対しては刑法第二五条第一項を適用し、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、被告人稲田武夫、同原田信次に対しては刑法第一八条により右罰金を完納することができないときは金五〇〇円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置し、なお訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項本文に則り被告人田中義行をして全部これを負担させることとする。

(争点に対する判断並びに情状について)

一  争点に対する判断

(一)  本件バスのサイドブレーキについて、

兵庫県陸運事務所長作成の回答書(検甲一一二号)によれば、本件バスの補助制動装置たる手ブレーキのハンドルのラチエツト部のかみ合せは良好で、その作動範囲も全作動範囲の約八〇パーセントで、約二〇パーセントの余裕があるが、センターブレーキライニングの当りが悪く、上部のみ約五〇パーセントが当り、ライニングが約三分の一磨耗し、その中央部において長径四五ミリメートル短径三〇ミリメートルのだ円形の孔があいていたため手ブレーキの制動能力は正常のものよりかなり低下していたことが認められる。

被告人原田信次と共に三田営業所の運行助役であつた岡勇太郎は司法警察員に対し、毎日実施される仕業点検の結果運転手は仕業点検簿に、各装置毎に良好の場合は○印、運転に支障はないが注意を要する場合は△印、不良の場合は×印を記入することになつているが、本件バス(三九〇号車)のサイドブレーキについては、昭和三七年七月二〇日頃から不良であることを運転手から聞いて居り、仕業点検簿に△又は×印が記入されていたことも知つていた。同年八月一四日(本件事故発生の二日前)には同人自ら本件バスを運転して点検した結果ブレーキの効きが甘いと感じ、サイドブレーキの修理を営業所長に具申しなければならないと思いながらついそのままになつていた旨供述している。

又被告人原田信次の検察官に対する供述調書(検甲一七六号)によると、同被告人は仕業点検表により昭和三七年八月三日、四日、六日、九日、一三日、一六日の六回にわたり、本件バスのサイドブレーキがやや不利であつたり、不良に故障していたことを確認し、八月三日、五日には修理申送簿により整備助役宛サイドブレーキ修理申送りをしたが、運転手から故障を修繕してもらわなければ運行できないという申出がなかつたので気を許しこの程度ならどうにか運転できると考えて運行させていたことが認められる。

更に被告人田中義行は検察官に対し、自分は本件三九〇号車にはこの事故までに一五回か一六回乗車し、そのバスの構造や癖、故障個所をよく知つて居た。昭和三七年七月一九日同車を運転するために仕業点検して以来殆んどずつとサイドブレーキに制動不完全又は制動故障で全く利かない状態が続いて居た。八月一六日の仕業点検の際もサイドブレーキが全然利かなかつたのでその旨点検表に記載して原田助役に報告後出発した旨供述している。(検甲一六一号参照)

ところで右にいわゆるサイドブレーキはハンドブレーキ又は駐車ブレーキとも称せられ、通常は駐車の際使用せられるものであるが主制動装置たるフツトブレーキ(エンジンブレーキ)が故障等のため使用し得ない場合には副制動装置又は補助制動装置として使用せられるものであり、このことは被告人等も熟知しているものと考えられる。そして右二種の制動装置は車輛運転上最も重要な機器であるから常時良好な状態が保持せられなければならないことが要求せられているのであるから、制動装置の整備不良の車輛は道路交通法第六二条にいわゆる「装置が調整されていないため交通の危険を生じさせるおそれがある車輛」即ち整備不良車輛として、これを運転し又は運転させることは厳禁されているものと解するのが相当であり、単に保安基準に適合しているというだけの理由で同法条に該当しないとする弁護人の主張は採用し難い。

(二)  被告人稲田武夫、同原田信次の罪責について、

道路交通法第六二条の「その他車輛等の装置の整備について責任を有する者」とは道路運送車輛法第五〇条に基き選任され、同法所定の屈出が為されている整備管理者のみならず、会社の内部規定により、又は会社内部の慣行により上司の指示により、整備管理者の代務者と定められた者をも含むものと解すべきところ、川崎亮一(神姫自動車株式会社常務取締役)の検察官に対する供述調書によると、同会社三田営業所では整備助役である被告人稲田武夫のみが道路運送車輛法第五〇条によつて選任され且つ届出でられた整備管理者であるが、同被告人の勤務時間は毎日午前八時半から午後四時半までであるため毎日早朝実施される仕業点検は同営業所の運行助役が整備助役の代務者として勤務するよう、同会社の内部規定たる職制規程業務分掌規定その他の規則規程に基き、本社車輛部長より指示させていたことが明らかであるから、本件事故発生当日整備管理者の代務者である被告人原田信次が道路交通法第六二条の整備責任者であることは多言を要しない。ただ弁護人は被告人稲田武夫は本件事故発生の当日は社用出張のため定刻に出勤せず、従つて当日の仕業点検の結果を了知していなかつたと主張し、なるほど同被告人は同日朝から神戸市に出張して三田営業所に定刻出勤しなかつたことが認められるけれども、被告人稲田武夫の検察官に対する供述調書(検甲一六八号)によれば、同被告人は当日午前一一時三〇分頃三田営業所の車庫に帰り、仕業点検表を閲覧し、本件三九〇号車がサイドブレーキの故障で調子が悪かつたことも、それまでの確認でも判つていたし、その時も当日の仕業点検の結果が不良であることも判つたが、運転手から、又運行助役から特に修繕の申入がなかつたのでそのまま放置し、何等の指示も与えず正午頃帰宅したというのであつて、しかも本件記録によると、被告人田中義行が本件バスを運転して小柿に向け三田駅前を出発したのは同日午後四時四五分であり、当時予備車輛も整備せられていたのであるから、被告人稲田武夫としてはサイドブレキーの整備不良本件バスを他の車輛と代替するよう指示することも十分可能であつたのであつて、従つて同被告人も亦道路交通法第六二条違反の責を免れることはできない。

(二)  情状について

被告人田中義行は多数の旅客の乗車せるバスを運転する者として特に周到な注意を須いなければならない業務上の注意義務を怠り、約六〇名の乗客を負傷せしめた責任は誠に重大ではあるが、仕業点検の際本件バスのサイドブレーキの故障を申し出たところ、運行助役から同車を注意して運転してくれと言われ、他の路線の運行に従事したところ、幸い事故が発生しなかつたので気を許し、且つ本件顛落事故発生の直前春霞園前停留所を出発後所定の位置でブレーキテストをしたが、主制動装置に異状を認めなかつたので進発したところ、後方より競争路線の西谷バスが追跡して来たので、ギヤーをサードに入れスピードを速めたものであることが窺われ、坂道にかかり対向車に気付きフツトブレーキをかけようとしたところ、突如故障を生じていることを発見し狼狽の余りハンドル操作を誤つた点において恕すべきものがあり、幸い死者もなく、会社の執るべき当然の措置とはいえ、被害者の大部分との間に示談が成立していること等諸般の事情に鑑み、同被告人に対し刑の執行を猶予すべきものと認める。

被告人稲田武夫、同原田信次については本件バス路線の経営者である神姫自動車株式会社においても運行並びに車輛整備の管理面に遺憾の点があつたこと、右両被告人とも降職の懲戒処分を受けていること等を参酌して量刑すべきものと思料する。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 石丸弘衛)

別表<省略>

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